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和歌山地方裁判所田辺支部 昭和33年(ヨ)19号 判決

申請人 山際行雄 外八名

被申請人 金清釦工業株式会社

主文

申請人らの申請を却下する。

申請費用は、申請人らの負担とする。

事実

申請人ら訴訟代理人は、「被申請人会社が申請人らに対し、昭和三三年四月三日になした解雇の意思表示の効力を停止する。被申請人会社は申請人らに対し、昭和三三年四月四日より別紙記載の金員を毎月末に支払え。申請費用は被申請人の負担とする」との判決を求め、申請の理由として、つぎの通り述べた。

一、当事者の関係

被申請人金清釦工業株式会社(以下単に会社と呼ぶときはこれを指す)は、従業員約二〇〇名を雇傭し、主として合成樹脂釦、ポリエステル釦、貝釦の製造、販売を業としているものであり、申請人らは、それぞれ会社に雇傭され毎月末に別紙記載の賃金の支給を受けているものであり、且いずれも田辺地方釦労働組合(以下単に組合又は本件組合と呼ぶときはこれを指す)に加入し、申請人山際行雄は旧執行委員長、同深谷実は旧組織部長、同岡崎俊明、同左巴博子、同清水恵美子はいずれも現職場委員、同橋本守は現執行委員、同川崎新、同小林清繁、同清水ふみはいずれも組合員として山際行雄と共に組合活動をしてきた者である。

二、申請人らが解雇されたことを知つた経緯

会社は、昭和三三年四月三日付通達書をもつて、組合副委員長岩穴一夫に対し、「不況対策具体案提示について」という標題で申請人らに対する解雇通告をなしたが、申請人らは、会社より解雇につきなんら具体的理由を明示されず、またその意思表示をも受けないので、同月七日会社に出勤してはじめて同月五日限り解雇されていることを知つた。

三、解雇が無効であり取消されなければならない理由

1  本件解雇は、労働組合法第七条第一号及び第三号に該当する不当労働行為である。

被申請人会社は、申請人らの労働組合を嫌悪し、機会あればこれを弾圧し、壊滅させようと行動してきた。すなわち、申請人らの労働組合は、昭和三二年一月頃より未組織であつた被申請人会社第二工場、第四工場の従業員を説得し、従来の同会社第一工場労働組合と合同して、同月二七日金清釦労働組合(以下旧金清釦労働組合と呼ぶ)を結成したところ、会社は組合に分裂と混乱を起させる目的で、同年四月一日「企業組織の再編成」という名目で、第一工場を金清釦工業株式会社、第二工場を協和釦工業所、第三工場を宮惣釦工業所、第四工場を高芝釦工業所、として表面上分離独立させた。

これに対し、組合は、会社のかかる悪辣な手段を排除し、労働者の団結と労働条件の向上のために、さらに結束を固め、同日右四工場の労働組合をもつて田辺地方釦合同労働組合を結成した。これよりさき、会社は、昭和三一年九月頃より新しい規格としてポリエステル釦の製造を始め、暫定賃金として出来高払制を採つていたが、予想以上の生産をあげたので、従業員間の賃金に不均衡が生じたということで、昭和三二年六月会社は一方的にポリエステル従業員に対し二〇%の賃下げを強行し、あるいはまた、前述の被申請人会社より分離した高芝釦工業所において、同年九月一二日当時申請人らの労働組合(田辺地方釦合同労働組合)の執行委員長福井熊雄らに対し、労働協約に違反し明確な理由を示さずに解雇予告を行つた。こういつた中で、申請人らの労働組合は、さらに団結を堅め、被申請人会社らの不当不法な圧迫を排除すべく、既に労働組合を結成していた田辺釦労働組合を中心とした田辺地方一般合同労働組合と合同して、同年一〇月一〇日田辺地方釦労働組合として単一労働組合を結成し、前述の福井熊雄らの解雇反対斗争を行つた。この争議は同年一〇月二九日に解決したが、その間被申請人会社側は、工場閉鎖、全員解雇等の違法な手段に出て、またストライキを理由に同年一〇月分の賃金を遅払する旨掲示し、あたかも賃金の遅払が組合の責任であるがごとく中傷宣伝した。会社のかかる悪辣な行動に対し、組合はますます団結を堅め、昭和三二年年末斗争において、はじめて二日間のストライキにより前年度より二日分を上廻る一二日分を獲得したが、組合の団結が強くなることに心良からぬ感を持つ被申請人会社は、その後、あらゆる手段を弄し、職制を通じ、申請人らの労働組合の組合員に対し脱退を強要し、遂に昭和三三年二月二三日金清釦労働組合(前述の金清釦労働組合と区別するため以下新金清釦労働組合または単に第二組合と呼ぶ)を結成せしめ、他方同年三月一日不況で売価が下落したという理由をもつて、ポリエステル部門従業員に対する賃下げを強行し、また、同年三月六日全従業員を集め、わざと賃金の分割払や遅払(三月分だけ)を行い、みせかけの不況を現実化せしめ、組合員に精神的脅感を与え、大々的に不況突破対策のために人員整理する旨を宣伝した。ついで会社は申請人らの組合に対し、同年三月八日付「不況対策実施について協力申入れの件」と題する通達書をもつて、人員整理の基本方針を明示するに至つたので、組合は直ちに抗議文を添付して同日会社に対し団体交渉を申入れた。しかるに会社は、申請人らの労働組合の組合規約、役員名簿、組合員数及び組合加入者名簿の提出を求め、右関係書類の提出がないことを理由として申請人らの労働組合が再三に亘り団体交渉を持つよう要求したにもかかわらず、約二〇日余の間これに応ぜず、その間団体交渉は実質的に開催できなかつた。しかし、同じく右期間中組合員名簿の提出を拒否した前記新金清釦労働組合に対しては、同年三月九日団体交渉を持ち、人員整理を撤回する旨の協定を結び、同組合には多大の援助を考え、これを申請人らの労働組合に通知してその分裂を図り、また、自己の支配下にある高芝釦工業所に意を通じ、申請人らの労働組合執行委員長福井熊雄を同年三月一三日即日解雇せしめ、同人の入る団体交渉は一切応じない旨の態度を表明し、さらに被申請人会社代表取締役金谷清太郎の実弟金谷貞市の経営に係る金谷釦工場の従業員三五名中一二名が同年三月二五日申請人らの労働組合に加盟したことに端を発し、申請人らの労働組合執行委員に対し右加入理由、組合員数、結成場所、その時の参加者並びに来賓者を調査し、同年三月二七日夜、四月一日より工場閉鎖、全員解雇を申渡し、申請人らの労働組合の役員が団体交渉を持つてその撤回を申入れたが、会社側の弾圧が激烈を極め、個々人に脅迫と威圧を加え、そのため殆んど申請人らの労働組合より脱退し、結局右加盟組合を壊滅させ、四月五日午後より工場を再開している。こうした事態の下に、同年三月二八日及び三〇日にようやく団体交渉が開かれ、人員整理の基準方法につき交渉が進められたが、双方対立のまま結論が出ず、四月三日午後七時より再度団体交渉を持つ旨の約束がなされて散会した。しかるに、被申請人会社は右の約束を一方的に破棄し、四月三日午後三時過、申請人らの労働組合の執行委員杉若克己を被申請人会社事務所に呼び、同会社代表取締役代理労務担当重役上西幹一より前記の通告書を手交したのである。

つぎに今回の解雇を組合別で検討すると、被申請人会社の努力と工作によつて結成された金清釦労働組合(第二組合)は一四〇名の組合員を擁しながら、解雇された者は僅か三名であり、その中二名は全然会社に勤務していなかつた者であつて、実質的には解雇に当らないのに反し、申請人らの労働組合は二〇名の組合員であるのに、その三倍に当る九名が解雇されている。さらに、本件解雇は不況というマスコミユニケイションに便乗した悪辣な行為で、客観的に整理すべき理由は存在しない。すなわち、被申請人会社と同種同系列の他工場には全然人員整理は為されていないこと、また、被申請人会社においては、解雇直前の昭和三三年一、二月頃は相当忙しく残業までしていたが、三月に入るや残業はなくなり、原料の仕入も人為的に規制し、賃金の分割遅払を宣言し、賃下げ、操短等不況であるがごとく見せかけていること、しかも解雇後の四月一〇日以降より従前通り三時間ないし四時間の残業を開始し、さらに新規従業員をも雇入れている。元来、不況により人員整理が行われる場合は、最初退職金制度を設け、これによる退職者を募り、それでも不十分な場合にはじめて労働組合と協議するのが通例であるが、前述の通り被申請人会社においては、かかる誠意ないし準備を有しない。

最後に申請人らに対する解雇理由は、極めて不明確であり、しかも右理由は、後日の抗議団体交渉により判明したものである。また、申請人らは何等被申請人会社が主張する解雇基準にも該当しない。

以上のような事態の下になされた本件解雇は、労働組合法第七条第一号に照して無効であるばかりでなく、会社は申請人らの労働組合を壊滅させる意図のもとに、申請人らを解雇したものであるから、その行為は、組合に対するいわゆる支配介入であるといわねばならない。従つて本件解雇は同法第七条第三号に照し無効である。

2  本件解雇は、解雇基準の適用において、著しく公正を欠き無効である。

すなわち、申請人らよりも出勤率の悪い者、病弱なる者が存するのにかかわらず、申請人らをこれに該当する者として解雇していることは著しく公正を欠くものであり、無効である。

3  本件解雇は、その手続上に重大な瑕疵があるから取消されなければならない。

すなわち、労働契約は、使用者と被傭者個々との間に成立するものであるから、解雇の意思表示もまた被傭者個々に対しなされるべきである。前述のごとき解雇通告によつては、申請人個々に対しなされていないものであるから、これにより解雇の効力は発生しない。

4  本件解雇は、労働協約に違反するから取消されなければならない。

すなわち、被申請人会社と申請人らの労働組合の前身である(旧)金清釦労働組合との間に昭和三一年八月一日労働協約が締結されており、その有効期間は同日から昭和三二年七月三一日までの一ケ年であるが、同協約第四七条に「会社または組合のいずれか一方が本協約を改廃しようとするときは本協約の有効期間満了の六〇日前までに、文書をもつて相手方に対しその旨の意思表示をしなければならない」旨規定し、その意思表示がない場合は、協約の効力はさらに一ケ年自動的に延長されることになつている。その後右(旧)金清釦労働組合は前述の通り田辺地方釦合同労働組合を経て、現在申請人らの所属する田辺地方釦労働組合に変遷したが、その構成員は同一であり、会社から協約改廃の意思表示を受けていないし、またその間、会社との間に従前の労働協約の効力を維持する旨特約がなされている。従つて右労働協約は現に申請人らの労働組合と会社との間に有効に存続する。そして右協約第一八条に「組合員を解雇するときは、会社は組合と協議決定する」旨規定されているのにかかわらず、会社は組合と協議決定せずに申請人らを解雇した。よつて本件解雇は右条項に違反し当然無効である。

四、仮処分の必要性

いずれにしても本件解雇は取消されなければならないものであり、果して然らば申請人らは依然被申請人会社の従業員たる地位を有し、前記賃金債権を有するものであつて、近くその地位確認賃金請求の訴を提起するものであるが、申請人らはいずれも右賃金を唯一の生活の資としている者であり、本件解雇により生活の危機に曝されているのであるから、本案判決の確定をまつては回復し難い損害を蒙るおそれがあり、さらに申請人らの労働組合の団結権に多大の影響を及ぼすこと甚大であるため、これらのことを緊急に排除するため本申請に及んだ。

被申請人代理人は、「本件仮処分申請を却下する」との判決を求め、答弁としてつぎの通り述べた。

一、申請人ら主張事実のうち、申請人らは被申請人会社の従業員であつたが、会社は申請人ら主張の頃解雇の意思表示をしたことはこれを認めるが、その余の事実は争う。

二、本件解雇をなした理由

会社は、従業員約一四〇名を雇傭し、合成樹脂、ポリエステル貝、ナツトの各釦製造販売を業としているが、維繊工業の附属産業であるため、最近の繊維工業の不振(現在綿紡四割、人絹五割の操短実施)に影響され、且合成樹脂釦の主要輸出先である香港貿易の不振と東南アジア方面の外貨不足等にわざわいされて、釦業界が不況に陥り、殊に合成樹脂釦並びにナツト釦の受注量が激減したために、企業を守るための人員整理の必要を生じた。ところで、前述四種の釦のうち、ポリエステル釦は、最近製造されるに至つたもので将来性があり、ナツト釦、貝釦は天然産の原料を使用しているもので将来性がなくなつているが、貝釦は従来より長期に亘り不況が続いたためにその職種に属する従業員は、自然退職により人員が減少しこの部門においては整理の必要性がなくナツト釦は輸入が減少し手持原料が不足する位であるが、既に原料代金を支払つている関係上、徐々に製品に仕上げなければならない状態にあるので、最終的には整理しなければならない部門であるが、現在はその必要性がすくない。そして、会社全体としては、職場により従業員の不足している部門もあるが、職場転換は業務の将来性の有無を考慮して行わねばならないし、将来性のある職種は、熟練度が高く、最低六ケ月間の見習を要するが、前述のような不況時には六ケ月間も見習させることは会社として耐えられないので、職場転換を考える余地がない。従つて、やむなく合成樹脂釦の部門に属する従業員のうちから重点的に人員整理するほかない。よつて、会社は、(1)勤務振りの不良な者(2)病弱者(3)高令者(4)勤続年数の短い者(5)能率のあがらない者を整理基準として、主として合成樹脂釦の部門に属する従業員のうちからこれに該当するものとして、申請人らを含む合計一六名を解雇するに至つたものである。申請人山際行雄、同深谷実、同左巴博子、同清水恵美子、同橋本守の五名は(1)に、同岡崎俊明は(1)及び(2)に、同川崎新、同小林清繁の二名は(4)に、同清水ふみは(2)及び(5)に該当する。

三、本件解雇は不当労働行為に当らないし、その手続においても有効である。

(イ)  会社は申請人らの組合を嫌悪したり弾圧したことはなく、本件解雇についても右組合ないし申請人らの組合活動を弾圧する意図でなしたものではない。

すなわち、会社は昭和三一年八月一日旧金清釦労働組合との間に労働協約を締結し、両者の間は至極円満であつたが、社長金谷清太郎が昭和三二年二月狭心症兼糖尿病で倒れ危篤に陥り病状予断を許さない状態にあつたので、社長の負担を軽減させるために、同年三月三〇日臨時株主総会の決議をもつて、同年四月一日第二、第三、第四工場を他へ譲渡したのであり、その結果第二工場は協和釦工場、第三工場は宮惚工場、第四工場は高芝工場として、各別個独立の経営者による企業体となつたのである。従つて、高芝工場が同年九月田辺地方釦合同労働組合の執行委員長福井熊雄に対し解雇予告したことに関し、被申請人会社としては関知しないことである。また昭和三三年二月新金清釦労働組合が結成されたのは、会社の指導ないし援助にもとずくものではないし、各組合ないし組合員を申請人らの組合ないし組合員と故意に差別待遇したことはない。会社は前述の通り人員整理の必要に迫られた結果、労働組合の意見を尊重し、労働法規に違反しないように心掛け、まず、昭和三三年三月八日、整理の具体案を作成して、申請人らの組合である田辺地方釦労働組合に呈示し、その協力方を要請した。ところが、同組合はこれに対して積極的な協力をせず、団体交渉を持つことを申入れてきたので、会社はこれを承諾したが、当時右組合のほかに新金清釦労働組合が結成された直後であつたから、団体交渉の相手の資格審査の必要と労働組合法第七条第一号に抵触しないためにも組合役員名、組合員名、組合員数を知る必要があると考えて、同日両組合に対し、組合規約と共にこれらの通知方を要求した。しかるに両組合共役員名簿を送付して来たのみで、その他の事項は秘密であると称して通知して来なかつた。また団体交渉の日時を指示しても出席せず、たまたま団体交渉に入つても、団体交渉に名を藉りて整理の遷延策を講じ出した。そこで会社は自己の存立上これ以上待つわけにいかないので、同年三月二四日両組合に対し最後通牒として「右関係書類を同年三月二六日までに提出せよ、若しこれに応じなければ一切の責任はその方で負うべきである」旨の通知をした。しかるに両組合は右要求に応じないので、同年四月三日被解雇者氏名並びにこれらの者の勤務は四月五日終業限とすること及び右処置に関し異議疑議ある者は四月五日までに申込まれたき旨記載した書面を両組合に送り、各被解雇者本人にこの旨伝達されたい旨申添えた。かくして各組合より右伝達を受けた申請人らを含む被解雇者本人は、四月四日会社に来て整理方針、解雇理由等につき説明を求めたので、会社側は懇切叮寧に説明したところ、これを諒解して帰つた。このように被解雇者本人らは解雇を承諾し、その後平均賃金の三〇日分の解雇予告手当を全員受領している。

以上の通り本件解雇は、不当労働行為にわたる点は全く存在せずまたその手続においても瑕疵は存しない。

仮りに会社の本件解雇の意思表示が申請人らになされていないとすれば、既に交付した解雇予告手当にもとずいて本件口頭弁論においてあらためて申請人らに対しその意思表示をする。

(ロ)  解雇基準の適用について

前述の通り、今回の解雇は、仕事の繁閑を考慮し各部門で被解雇者を選定して決めたものであるから、整理部門に属する従業員の勤務状況が非整理部門に属する従業員の勤務状況よりも比較的良くとも、これをもつて著しく公正を欠くとは言えない。

四、会社と申請人らの組合との間に労働協約は存在しない。

すなわち、旧金清釦労働組合と会社との間に昭和三一年八月一日労働協約が締結されたが同組合は昭和三二年三月八日会社に対し書面で右協約の改正並びに協約以外の賃金協定書の制定並びに最低賃金の制定を申入れ、これに協約改正案を添付してその団体交渉を同月一五日に行いたい旨の申入れがあつた。右協約改廃の申入れにより、協約の効力が自動的に一ケ年延長される旨の協約第四七条第二項の適用はなくなつた。そこで会社は、組合との間に団体交渉を行つてまず賃金協定書の制定を審議したが、未だ協約改正の協議を初めないうちに、右組合は潰れ同年四月一日別個の組合たる田辺地方釦合同労働組合が新たに結成され、被申請人会社に同組合の支部が置かれた。従つて前記協約は旧金清釦労働組合の崩潰と同時に無効となつた。もつとも、その後田辺地方釦合同労働組合金清支部と被申請人会社との間に「金清工場のことについては前記協約の精神により円満にやつて行こう」という口約がなされたが、右金清支部は支部規定を持たず、従つて独立の組合でないのと、右口約は成文化されていないので協約と認めることはできない。いわんや、旧金清釦労働組合とは別個の組合である田辺地方釦合同労働組合と被申請人会社との間には前述のごとき口約もなく成文化された協約もないので、この両者間には労働協約は存在しない。その後田辺地方釦合同労働組合が解散し、これと別個の田辺地方釦労働組合が新に結成されたのであるから、この組合と被申請人会社との間に労働協約が存在しないこと勿論である。仮りに、右組合と会社との間に申請人主張の労働協約が存在していたものとしても、右組合は、次のような協約違反行為をしたから、無協約状態にあつたものである。従つて本件解雇は協約違反とはならない。すなわち、(イ)右組合の組合員は争議中被申請人会社の立入禁止の場所に立入つたから、これは協約第四四条及び覚書第三項に違反する。(ロ)右組合は被申請人会社へ組合員数の通知をしない。なお、会社が再三再要求した結果組合役員名は昭和三三年三月一三日、組合規約は同月二八日通知してきた。これらはいずれも覚書第三項に違反する。(ハ)昭和三二年一〇月福井熊雄の解雇に関しストライキが行われた際、右組合は被申請人会社に対し、同月一七日付で「団体交渉決裂の場合は実力行使をもつて解決に臨む」旨通知したのみで、一回の団体交渉もせず同月一九日ストライキに突入した。これは協約第四二条に違反する。(ニ)昭和三二年一二月年末手当要求に関しストライキが行われた際にも、同月二〇日付て「最悪の事態を考えここにスト権の確立を予告通知する」旨の通知がなされたのみで、ストライキ行為につき所定の通知をせず同月二一日ストライキに突入した。これも協約第四二条に違反する。

以上の理由により、本件解雇につき協約違反に問われる点は全く存在しない。

五、仮処分の必要性は存しない。

申請人らは、いずれも前述解雇予告手当を受領したうえ、申請人らのうち、清水恵美子、清水ふみ、橋本守を除く六名は既に他へ就職しており、清水恵美子、清水ふみの両名は主婦であつて家事に従事しており、橋本守は独身で父が定職に就いているため家事に従事し、いずれも生活に逼迫していない。しかも被解雇者は退職手当及び六、七ケ月間失業保険を受けることができる。これに反し、本件仮処分申請が認容されるならば、会社は本案判決確定に至るまで、申請人らに対し莫大な金額を支払うことになり、たとえ会社が本案につき勝訴しても右支給した金員は恐らく取戻すことができなくなる。

疎明〈省略〉

理由

申請人らが被申請人会社の従業員であつたこと、会社が申請人ら主張の頃申請人らを解雇する旨の意思表示をしたことは、当事者間に争がない。

そこでまず申請人らを解雇するに至つた経緯について考えてみるに、疎甲第三号証、第六ないし第八号証、第一六号証、疎乙第八、九号証、第九号証の二、第一〇、一一号証、第一一号証の二、第一二号証、第一二号証の二、第一三号証、第一三号証の二、第一四号証、第一四号証の二、第一八号証、第一八号証の二、三、第一九号証に証人福井熊雄(第一回)上西幹一(第一回)岡村薫二の右証言並びに申請人本人山際行雄の供述を綜合すると、一応つぎのように認められる。

会社は従業員約一四〇名を雇傭し、合成樹脂、ポリエステル、貝ナツトの各釦製造を営んでいたが、後述のような釦業界の不況と受注量の減少のため事業縮少の必要を生じた結果、打開策として人員整理の方針を樹て、昭和三三年三月六日頃社長金谷清太郎より全従業員に対し、口頭で会社の苦境を訴え人員整理する旨告げた上、翌三月七日労務担当重役上西幹一より申請人らの加入する労働組合である田辺地方釦労働組合及び第二組合である(新)金清釦労働組合の両者に対しそのための団体交渉の申入をしたが、田辺地方釦労働組合は当日執行委員会開催中なることを理由に参集しなかつたので(新)金清釦労働組合とのみ団体交渉を持ち、田辺地方釦労働組合に対しては、三月八日付「不況対策実施について協力申入れの件」と題する書面で、部門の繁閑を考慮して、(1)出勤率不良の者、(2)比較的能率のあがらない者、(3)就業態度の悪い者、(4)入社後日の浅い者、(5)高令の者を基準として、二九名を即時ないし通告解雇することとした旨及びこれにつき組合と協議したい旨の申入れをしたがこれに対し右組合より同日抗議文を添付して人員整理に反対する旨の表明がなされ、且職場要求につき団体交渉の申入れがあつた。他方会社は、翌九日(新)金清釦労働組合との団体交渉において、前記三月六日発表の不況対策としての人員整理は撤回し、あらためて不況切り抜け対策については双方協議協力する等約したが、当時第二組合たる(新)金清釦労働組合結成後間もないこととて、第一組合たる田辺地方釦労働組合よりの脱退者が続出していた頃であつたので、各組合の実態を把握したい意向から、両組合に対しそれぞれ組合規約、役員名簿、組合加入者名簿の提出を求めたが田辺地方釦労働組合からはこれらの書類の提出なきため、これを理由として、同組合からの前記団体交渉の申入れには応じなかつた。しかるにその後同月末頃になつても業界の景気は好転せず会社の業績が悪化するばかりであつたため、再び人員整理を早急に実施する方針を樹て、田辺地方釦労働組合と三月二八日、三〇日、(新)金清釦労働組合と同月三一日、いずれも人員整理につきその協力を求めるべく団体交渉を持ち、田辺地方釦労働組合に対しては、トラブルを避けるために組合側において退職者を募つてもらいたい旨申入れたが、会社が退職金を出さない方針に出たためまとまらず、かえつて、組合側においてその他の職場要求を話題とし、右方針による人員整理にはあくまで反対の態度を示したため、会社は、四月三日午後七時より団体交渉を持つことにして別れたが、これ以上団体交渉を繰返し日時を経過することは、会社の存立上たえられぬとし、早急に整理を実施すべく、とりあえず一六名の被解雇者を前記基準により選定し、同年四月三日午後三時頃両組合に対し、「不況対策具体案提示について」と題し、前記三月八日付「不況対策実施について協力申入れの件」と題する書面にもとずき、第一段階として右一六名を解雇することとし、一ケ月分の予告手当以外の退職金は原則的に支給せず、被解雇者の勤務は四月五日終業時限りとする旨、なお右処置に関し異議疑義ある場合は四月五日までに申込まれたい旨付記した書面をもつて通知し、右一六名には各組合より連絡するよう依頼したこと、これに対し田辺地方釦労働組合は、右解雇に反対し、翌四日より六日までの間に、会社と団体交渉を持ち、申請人らは女性を除く全部がこれに出席し、人選方法を問いたゞし、撤回要求などしたが、会社において撤回しなかつたこと、及び被解雇者は、右以外の者を含め同月七日会社に出たところ、会社側から四月五日限り解雇されている旨告げられ、就業を拒否された。

以上の事実からすれば、申請人らは、おそくとも四月七日に解雇された旨告知されたものと認めるのが相当であるから、解雇手続自体に重大な誤りがあるとは考えられないから、この点についての申請人の主張は理由がない。

つぎに疎甲第二一号証、疎乙第二号証、第一六号証、第一六号証の二、第一七号証、第二五号証の一ないし三に証人上西幹一(第一、二回)、堀与四郎、松村文男の各証言を綜合すると、最近釦業界が一般的不況下にあり、被申請人会社においても昭和三三年に入るや合成樹脂釦、ナツト釦等の受注量は激減し、同年三月頃までその状態に大差なく、三月下旬頃には愈々企業維持のためには早急に事業を縮少しなければならない状況となり、自然退職を考慮しても、現状打開のためには、人員整理の必要があつたこと、そしてこの場合、他部門には入手の足りないところもあつたが、合成樹脂釦は将来性がなく、将来性ある部門への転換も、そのために要する習熟期間等に照し右急場を凌ぐことにならないこと、これがため仕事の繁閑を考慮して重点的に主として合成樹脂部門より(1)勤務振りの不良な者、(2)病弱者、(3)高令者、(4)勤続年数の短い者、(5)能率のあがらない者を整理基準として、整理の対象者としたことをいずれも一応認めうるのであつて、以上のような状況において、会社が従業員を解雇する場合、不当労働行為、労働協約違反の点がない限り、一方的に解雇したとしても、一応正当な理由による解雇であるというべきである。

そこでつぎに、不当労働行為の主張について考えてみる。疎甲第一号証の一ないし九、第九号証、第一〇号証の一ないし九に証人福井熊雄(第一、二回)申請本人山際行雄、深谷実の各供述を綜合すると、本件解雇に際しては、被解雇者一六名のうち半数以上は、田辺地方釦労働組合に属し、且同組合に所属する被申請人会社の従業員は当時僅か二〇名足らずであるから、その半数近くが解雇されたことになること、他方(新)金清釦労働組合は一〇〇名以上の組合員を擁しながら僅か数名解雇されたにすぎないこと、被解雇者中申請人山際行雄は解雇当時は合成樹脂釦部成型工で、(旧)金清釦労働組合時代昭和三一年五月頃より昭和三二年七月末日頃まで執行委員長の地位にあり、当時未加入の会社第二、第四工場の従業員に対し同組合への加入を勧誘しその頃は組合活動も可成り活溌に行われ、その後も職場責任者に対し種々待遇改善を申入れたことがあり、申請人深谷実は解雇当時合成樹脂釦部成型工で、(旧)金清釦労働組合当時昭和三一年五月より昭和三二年二月頃まで同組合の組織部長に選任され、組合結成以来初めての夏季手当要求斗争、年末手当要求斗争に参加し、山際行雄同様第二、第四工場の従業員に対し組合加入を勧誘したことがあり、申請人岡崎俊明は、同様合成樹脂釦部成型工で、(旧)金清釦労働組合及び田辺地方釦合同労働組合当時の職場委員であり、申請人左巴博子は、合成樹脂釦製品撰別工で、昭和三一年五月より昭和三二年二月まで、(旧)金清釦労働組合の職場委員申請人清水恵美子は、ナツト釦部へタ撰別工で、昭和三一年五月より(旧)金清釦労働組合、田辺地方釦合同労働組合の各職場委員、申請人橋本守は合成樹脂釦部原料工で、田辺地方釦労働組合執行委員申請人川崎新、同小林清繁はいずれも合成樹脂釦部成型工申請人清水ふみは、ナツト釦捺染工で、いずれもストライキその他の斗争に際してはこれに加わり共に組合活動をしていたものであることは、いずれも一応これを認めるに足りる。しかしながら、以上の組合活動はいずれも主として、組合全体の統制下にその一員として行つたものであり、第二、第四工場従業員に対し加入勧誘したりなどしたことも、本件解雇の約一年も以前のことで、そのほかに特別目立つ組合活動をなしたこと及び会社が申請人らの所属組合に対し、特別な敵意ないし嫌悪をいだいたことについてはその疎明が十分でない。もつとも、前認定の通り会社が昭和三三年三月六日頃人員整理する旨発表した後、三月九日(新)金清釦労働組合との団体交渉において、三月六日発表の人員整理は撤回し、また、両組合とも組合員名簿の提出がないのに前記のごとく(新)金清釦労働組合と団体交渉を持つているが、右撤回の事実は、翌一〇日田辺地方釦労働組合の要求で同組合にも知らされ、会社はその後一応景気の好転を期待して成行をみていたのであつて、これらのことは、以上認定の事実関係のもとにおいては組合との交渉過程においてある程度やむをえないものである。かえつて疎乙第五ないし第七号証、第九号証、第九号証の二、第一〇、一一号証、第一一号証の二、第一二号証、第一二号証の二に証人上西幹一(第一、二)、回山本林吉、福田豊重の各証言を綜合すれば、第二組合たる(新)金清釦労働組合が結成されるに至つた事情は、昭和三二年一〇月田辺市内神田会館で開催した田辺地方釦合同労働組合金清支部の組合大会において、賛成五五、反対五二の僅少の差で後に認定するごとく田辺地方釦労働組合に加入する経過をとり、その後、田辺地方釦労働組合の組合活動が、被申請人会社のごとき比較的零細なる釦会社の実情にそぐわないものありとの批判が組合員あるいは組合員外の従業員中に起り、昭和三三年二月二六日頃第二組合たる(新)金清釦労働組合が結成されたものであり、(会社がその結成につき支配介入したとの疎明はない。)また本件解雇直前頃の昭和三三年三月頃は、田辺地方釦労働組合より脱退し、新金清釦労働組合に加入する者が続出していたときであり、且本人の意思によらずに脱退届や加入届が組合に提出される等のことから両組合とも自己の組合員の実態を十分に把握できない状態にあつたこと、従つて本件解雇当時、会社としてはなおさら従業員がいずれの組合に所属するかは全く判らなかつたことを一応認めることができる。そして、疎乙第二四号及び証人岡村薫二の証言によれば、会社は本件解雇後雇入れた妥女某は、退職したポリエステル部門の職長津路某の後任であり、右職長は特殊技術者なることを要するために、従業員中にその交替者が存しないこと、また新人松下純、前田忠穂の両名は、宮惣釦工業所よりラクト釦面削技術修得のために派遣勤務されている者であることをいずれも一応認めることができる。以上認定の事実関係を綜合すると、会社が不況を装い申請人らをその組合員なることないし組合活動したことの故をもつて解雇したとは認め難く、また申請人ら所属の組合を壊滅する意図のもとに本件解雇をしたものともいうことはできない。よつて、本件解雇が不当労働行為であるという申請人らの主張は理由がない。

つぎに申請人らは、本件解雇が解雇基準の適用において著しく公正を欠くから無効であると主張するが、疎乙第二〇号証の一ないし三及び証人福井熊雄(第二回)、武田政己(第一、二)、回申請本人深谷実の各供述を綜合すれば、被申請人主張の解雇基準に照し申請人らよりも下位の者が解雇されていない事実は認めうるが、疎乙第一三号証、第一三号証の二に証人上西幹一(第一、二回)、岡村薫二、比嘉敬栄の各証言を照し合わせると、申請人らには、それぞれ被申請人主張のごとく、その主張の解雇基準に一応該当する事実が存することもまた認めうるところである。そして会社が示す解雇基準なるものは、会社内部の経営方針の基準にすぎないから、解雇されなかつた者に比し上位にある者が解雇されることがあつても、解雇すべき理由が存する限り不当労働行為に当る場合は格別、これをもつて直ちにその解雇が無効となるものではないと考える。そして本件解雇が前認定の事情により重点的に被解雇者の選定がなされた経過からみれば、特に著しい不公正な点は見出し得ない。さすれば、この点に関する申請人らの主張もまた理由がない。

よつてつぎに、会社と申請人らの所属組合との間に、労働協約が存在していたか否かにつき検討する。

疎乙第三ないし第七号証、同第一八号証の四、同第二〇号証の二、同第二二号証、同第二六号証疎甲第一四号証、同第一七号証、証人福井熊雄(第一回)、同上西幹一(第一、二回)、同岡村薫二、同山本林吉、同比嘉敬栄、同福田豊重、同成瀬房雄の各証言並びに申請人本人山際行雄の供述を綜合すると、昭和三一年八月一日当時被申請人会社が第一、第二、第三、第四の各工場を有していたところ第一工場にのみ労働組合(旧金清釦労働組合)が結成されていて同日会社との間に労働協約が締結された。そしてその協約の覚書により右協約に於ける労働組合とは現状に於て第一工場労働組合のみ指摘するとの相互了解がなされたのである。しかしその後第二ないし第四各工場の労働者も組合に加入するに及んで右四工場の全従業員を一団とした単一の金清釦労働組合(旧組合)とし爾後労資双方の交渉はすべて右協約に従つてなされてきたのである。そして昭和三二年三月頃に至つて会社社長金谷清太郎は狭心症のため倒れたことが動機で会社が株主総会の決議を経て同年四月一日前記第二、第三、第四工場をそれぞれ他へ譲渡して事業を縮少した結果第二工場は協和釦工業所、第三工場は宮惣釦工業所、第四工場は高芝釦工業所として各別個の企業体となつたので一旦組合を解散し別に分離した各企業体従業員が合体してその頃田辺地方釦合同労働組合を結成すると同時に右組合は各企業者に対し労働協約の締結(前示証人等は協約の改廃と称するが、実は各企業者との間の労働協約締結の意である)につき交渉を重ねたがこれが締結するに至らなかつたので被申請人会社(右第一工場)所属の組合員を以つて構成する同組合金清支部役員と被申請人会社との間において両者は以後協約が締結されるまで従来の協約の精神に則つて両者間の問題を解決する旨の口頭契約を締結した。ところが昭和三二年一〇月頃に至り地評傘下の外部労働団体より右田辺地方釦合同労働組合を解散して田辺地方の各釦会社の全労働者が一丸となつて産業別労働組合を結成せよとの勧誘を受け強く圧力を受けるに至り組合内部において意見が対立し相当数の組合員が地評傘下の産業別労働組合の斗争方針に強い不安の念をいだき若し被申請人会社の如き中小企業者を相手とする労働組合が産業別労組のような斗争方針を採用するにおいては労資共倒れの虞れありとして強く反対し組合として賛否いずれともその結論を得ず結局右田辺地方釦合同労働組合一本として上位組合に加入することができなかつたので右合同労組を解散し新産業別組合に参加するかどうかを各企業体別労働者においてそれぞれ自主的に決定することとし各自労働者に図つたところ宮惣工場の如きは新組合(産別の田辺地方釦労働組合以下本件組合と称する)に加入しないことに決し被申請人会社の労働者等は同年一〇月一〇日田辺市内神田会館において投票による採決の結果新組合加入賛成五五反対五二の差で賛成者多数となり本件組合に加入するに至つたのであるが、その後前記のように本件組合の在方に不満をいだいて組合を脱退する者が続出しその者等によつて第二組合である(新)金清釦労働組合が結成され現在本件組合の組合員数は二〇名足らずであるのに対し(新)金清釦労働組合の組合員数は一〇〇名以上の多きに達して居るものであることは一応これを認めることができる。

右のような一企業者内の数工場の労働者を一団とした単一労働組合が数工場が独立して企業体を異にすることにより組合を解散し別に各企業体合同の組合を組織するに当り分離後の一企業者とその所属の組合員との間に新協約が締結されるまで前協約の精神に基いて問題を解決することを特に口頭約束したような場合は右解散と同時に前協約を解除する意思の下になされたこと及び前協約の精神に基いて問題を解決するとの約旨の如きはその内容の性質上当事者双方に具体的な拘束力を発現し得ないもので一種の紳士契約に過ぎないものであると解するが相当であるばかりでなく、前記田辺地方釦合同労働組合の解散は上位団体の組合に加入するかどうかにつき組合員間の意思の統一を欠き各企業者別労働者等において改めて意思を決定することを目的として解散し各投票によりその措置を決した結果新組合(本件組合)に加入せないものも生じた本件のよう場合は組合が内紛によつて解散したものであつて、本組合に加入したものについては旧組合を脱皮し改めて他のものと新たな組合を結成したものとみるのが相当である。右のように旧組合が内紛によつて脱皮生成を図るため解散しその一部共同意思保有者において改めて他の企業者従業員と共同して新たな別個の組合を結成したのであるから解散前の田辺地方釦合同労働組合と新組合である本件組合とは法律上同一性のない別個の組合であるといわなければならない。従つて解散前の右田辺地方釦合同労働組合又はその支部の権利義務は新設組合である本件組合に承継されないことは論をまたないところである。そして外に本件組合と被申請人会社との間に前記労働協約が受継されたことを認めるに足る疎明は存しない。それ故右両者間に前記協約の存することを前提としてその条項違反であるという申請人等の主張が理由がない。

以上の通りであるから、申請人等に対する本件解雇はいずれもこれを無効ないし取消すべきものとする理由がないことに帰する。さすれば本件仮処分申請は被保全権利がないから、その余の判断をまつまでもなく理由なきこと明らかである。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 依田六郎 久米川正和 萩原寿雄)

(別紙省略)

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